冤罪は全て「悪」なのか

冤罪は全て「悪」なのか

みなさん初めまして。
この度、俯瞰において心理系の記事を担当することになりましたFukaです。
他のライターの方々のような、特殊な体験や知識などはあまり持ち合わせていませんが、少しでも読んでくださるみなさんに楽しんでいただけるよう頑張ります。

さて、みなさんは「思考実験」というものをご存知でしょうか。

「トロッコ問題」「シュレディンガーの猫」などは一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

特殊な実験器具を使う必要もなく、シミュレーションのように具体的な数値を出す必要もない。誰でもお手軽にできて、かつ深い考察を行うことができる楽しい実験です。
今回はその中の一つ、「冤罪」に関する思考実験をみなさんにご紹介しようと思います。

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あるところに、とても正義感に溢れた一人の警官がいました。
彼の管轄内で、今まで一度も犯罪を犯したことがなく、心優しい模範的市民である青年が、不可抗力で女性を死に至らしめてしまいました。

しかし、彼は偶然により、その事件の犯人に他の男をでっち上げられるだけの法医学的証拠を手に入れました。
その男が連続殺人を起こしたシリアルキラーであることは誰もが知っていましたが、証拠が揃わず今まで告発できていませんでした。

勿論、法的にはシリアルキラーの男に濡れ衣を着せることは許されませんが、どちらを捕まえたほうが社会に有益であるかは明らかのように思えます。

はたして、警官が行おうとしている行為は「正義」なのでしょうか?

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きっとみなさんの多くは「正義」だと答えるのではないでしょうか。

誰も傷つかず、他人に不利益を与えることもなく、秘密裏に行われるのであれば、一見、これを否定する理由は見当たりません。

しかし、警官の場合は、時に法律ではなく道徳に従うことが良しとされる一般市民とは違い、法に基づき権力を執行する立場です。だからといって、彼が「司法」というわけでもありませんから裁く立場でもありません。
これを許してしまっては、つまり権力と武力を持つ警察から「法」という安全装置を例外があれば取り除くことを容認してしまったのと同義となるのです。

それを踏まえた上で、みなさんはいかがお考えでしょうか。


……実はこの思考実験、現実では半分答えが出てしまっていたりします。

思考実験の「心優しい青年」のように相手方がいる場合ではなく、ただ「シリアルキラー」を捕まえたい場合、実際に「冤罪」のようなものを被せて、無理矢理逮捕する場合というのが多々あります。

勿論、日本の話です。

……ここまで書いて「もしかしてMATEBAさんに怒られるんじゃないか」と少し怖くなってきましたが、その場合は筆頭管理人さんがなんとかしてくれることを願って続きを書かせていただこうと思います。

「別件逮捕」「微罪逮捕」というものがあります。

本件の取り調べを行うために、別件の容疑や、本来黙認されるような小さな犯罪行為によって逮捕し、身柄を引っ張ってくるという手法です。

実際に、これにより公共の秩序が守られたパターンというのも多く存在します。

例えば、新左翼が台頭していた70年代。連合赤軍によるテロが続発していたこの時代においては

「赤信号を渡った」
「路上に唾を吐いた」

このような理由で、赤軍組織のメンバーが次々と逮捕されていきました。
警察官がわざと躓いて転ぶことによって公務執行妨害で逮捕するいわゆる「転び公妨」も盛んに行われていた時期です。

また、90年代に入りオウム真理教による凶行が行われるようになった際も、別件逮捕・微罪逮捕が多々行われました。

カッターナイフを持っていたことによる銃刀法違反での逮捕。
ホテルに偽名で泊まったことによる旅館業法違反での逮捕。
中には自動車の移転登録をしなかったために、道路運送車両法違反容疑で逮捕された者もいました。

当人達からすれば理不尽極まりないですが、警察のこの行為は一般市民にとっては何も害のない、むしろ諸手を挙げて喜ぶものであったのは言うまでもありません。
当時のマスコミもあまり批判することはありませんでした。

この他にも、近年においても暴力団の組員を逮捕したいがために「入れ墨をしたまま銭湯に入った」として建造物侵入罪で逮捕。
といったような似たような事例があります。

ここまでの事例は「でっち上げ」に近いとはいえ、結果として公共の秩序に寄与するもの、つまり「冤罪」に近いものによって本来の「罪」を裁くことができていました。

しかし、中には「冤罪」によって新たな「冤罪」を作り出してしまった事例も存在します。
おそらく、これから取り上げる事例に関わった当事者達は、前述した思考実験においても迷うことなく警官を「正義」だと断じたことでしょう。




例えば蛸島事件。

これは1965年に能登半島の小さな漁村で起きた、当時10歳の男子が被害者の誘拐殺人事件であり、未だ未解決となっています。

当時の地元警察は当時16歳の少年を実行犯であると断定。
半年前に親類の家で窃盗を働いたという容疑で別件逮捕され、後に犯行を自白しました。

しかし、自白は強制されたもので、別件逮捕である窃盗についてもなんと警察が親族に無理やり被害届を提出させただけのでっち上げであることが判明し、後の裁判で無罪が言い渡されます。

まさに「冤罪」によって「冤罪」を作り出した事例だと言えるでしょう。


また、平成21年に奈良県で起きた事例としてパチンコ店の駐車場にて男が「職業に就く意思がないままうろついた」という軽犯罪法違反で逮捕され、その後の尿検査で覚醒剤反応が出たことで覚醒剤取締法違反で逮捕されたという事例があります。

この「職業に就く意思がないままうろついた」というのは軽犯罪法1条4号の「生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの」が処罰の対象になるという法律に基づいたものです。

しかし、戦前こそ濫用されていた法律とはいえ、今の世の中でこんな人はたくさんいます。
これをいちいち取り締まっていたら、ホームレスは全員捕まることになってしまいます。

しかも、この事例の場合、逮捕された男は求人雑誌を所持しており、住居もありました。

結局、高等裁判所はこの別件逮捕を「違法」と判断。本来取り締まられるべき覚醒剤使用についても、その違法行為が行われている中で収集された証拠であるとして無効とし、無罪としました。

ここまで読んでいただいてわかる通り、現実では警察は「大きな悪」を取り締まるためであれば、「小さな罪」を被せることも時には厭わないのです。



無論、本来の罪そのものが冤罪であるパターンもありますが、今の日本の警察はそれを故意に行なうような組織ではないことはフォローしておきたいと思います。 

しかし、今回あげたように、本来の目的を達成することができなかった事例も存在します。そもそも、冒頭でお話した思考実験を「正義」と考える方が多いが故に起きてしまったとも言えるでしょう。

それを踏まえた上で、みなさんは思考実験における警官の行動を「正義」とするか否か?


友人やご家族と話し合ってみるのも面白いかもしれませんね。





ちなみに私は大学で似たような思考実験について議論を行った際には「正義」派につきました。


それではまた。



少し申し訳ないのでMATEBAさんの記事を貼っておきます(笑)
https://japan-politics.com/archives/192





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