「被爆国の責任」とは非核化にあらず

「被爆国の責任」とは非核化にあらず

「持たず・つくらず・持ち込ませず」
誰もが一度は聞いたことがあるであろうこの言葉。
個人的には「所得税・住民税・厚生年金」と同じくらい嫌いなセットであるのだが、このいわゆる「非核三原則」というものは国会決議に過ぎず、明文化された法律というのは我が国には存在しない。
「持たず・つくらず」については日米原子力協定や国内法でも原子力基本法などで法的に禁止されており、NPT等に批准していることからも定められている。

つまり「持ち込ませず」については、それを守るべき法的根拠はなく、政府の方針次第で転換することが比較的容易にできるのである。安倍元首相が言及した「核共有」についてもこれに当たる。

一部野党やマスコミなどは安倍元首相の発言に猛烈に反発しており、まるでプーチンと同様であるかのように取り上げる論調すらあったが、無論これは大きな間違いである。

まるで「核共有」を行うことが侵略国家への転換であるかのように印象操作をする者もいるが、そもそも核共有自体はイタリア・オランダ・トルコ・ベルギーという欧州各国が行っており、その中にはよく左派が戦後教育などについて異常に持ち上げるドイツも含まれている。
これらの国家は侵略国家なのであろうか?考えるだけ馬鹿馬鹿しいのはおわかりいただけるであろう。

「核共有」はNPTに違反すると叫んでいる者もいるが、上記の国家がNPTに署名や加盟しているのはご存知の通りであり、そもそもNPTとは平時における規定であり、戦時下を想定した核共有はそれに違反しない。

法的に問題が無く、さらには前例も多々あるとなれば一体何故、核共有をタブー視する理由があろうか。

核兵器の話題が持ち上がる度に「唯一の戦争被爆国としての責任が〜」などと騒ぐ輩がいる。
Googleで検索すれば、朝日新聞や東京新聞などの論説がすぐにヒットするであろう。
彼等の言う「唯一の戦争被爆国としての責任」とは、核兵器を否定し、廃絶を目指すことであるらしいが……馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

「唯一の戦争被爆国としての責任」があるとするならば、先人達の犠牲を忘れず、二度と同じような悲劇に国民が巻き込まれないようにすることであり、それと自国が核を保有するかしないかというのはまた別問題であろう。

今回のウクライナの件で、ほとんどの方は理解したであろうが、平和を謳うことや、核兵器を禁止することに緊張緩和の効果などは一切ない。むしろ、それにつけいられ相手の武力による侵攻を許してしまうということは明らかになったであろう。
仮にであるが、ウクライナが核保有国であったとしたら、このような惨状になっていたであろうか。
こんなにも容易に戦術核の使用を示唆されていただろうか。

「軍縮による緊張緩和」「対話による解決」そんなものは、相手が良識を持った「話の通じる相手」である時のみ通じることであり、現在のロシアのように暴走した国家は最初から戦争目標を定めており、上記の策(?)は相手にその達成をより容易にさせるだけだ。
ある日森の中くまさんに出会って、話が通じるのは童謡の中だけで、実際に熊に遭遇したら問答無用で食われることくらい少し考えれば小学生でもわかる話だ。

現在の安全保障において「核兵器」が重要な役割を果たしており、交渉のテーブルにつける最低限の「前提条件」であるとすら言えることはもはや疑いようもない。
核廃絶は全人類が目指すべき理想であるが、けして、それは被害者側である日本が負うべき義務ではない。
核保有国がみすみす手持ちのジョーカーを自分だけ捨てる訳もなく、核を無力化する技術が存在しない現在では非現実的である。

そのような国際社会で、核を持たず、先制攻撃能力も持たないなどというのは緩やかな自殺行為に他ならない。
米軍とその核の傘がある故に日本はギリギリのラインに踏みとどまっているが、実際に有事の際に国際社会がいかに冷たいかというのは現在のウクライナ情勢を見れば明らかである。



「日本ほど、核兵器の恐ろしさを知っている国はない」それは確かであろう。


しかし、それを知っているからこそ、その戦略的重要性に真剣に向き合わなければならない。
核を撃ち込まれないために、必要な防衛策とは何か。
完全なBMD(ミサイル防衛)が未だ存在しない現状で、現実的な抑止としての核共有や、核保有を議論から排除してはならない。
核拡散時代において、相互確証破壊の論理は崩れ去ったと言われているが、それは核保有国側が正確な探知能力を持たない場合に誤認などによる偶発核戦争を招きかねないということであり、すでに米国の早期警戒衛星と核の傘に依存している日本が核共有をしようと、その点については一切影響がない。

つまり、日本が核を保有することによる他国へのリスクは一切無く、そこに存在する判断材料は自国の安全保障へのメリットと、他の核保有国と同様の管理面でのデメリット、ただそれだけなのである。

繰り返しになるが、本当の意味で「唯一の戦争被爆国の責任」を果たすのであれば、もはや核共有や核保有についての議論を躊躇っている場合ではない。
ロシアの武力による現状変更が一定の成果をおさめてしまった場合、次に動き出すのは中共である。


ぜひ、皆さんにも核共有、核保有について声をあげていただきたい。少なくとも前者は実現不可能なものではないのだから。

過去の悲劇を口実に、現実の危機から目を逸らすことは簡単であり、聞こえも良いかもしれない。
しかし、真に過去と現在の命を尊く思うのであれば、一歩踏み出さなければならない。

その時が来ているのだ。







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