防共戦線と化した総選挙

防共戦線と化した総選挙

戦後76年、日本は共産主義の魔の手に落ちることなく今日まで生き延びてきた。
これは自由民主主義を維持せんとした先人達の尽力によるものであることは勿論、先の大戦や冷戦時の歴史的経験や学生運動、連合赤軍をはじめとした新左翼組織によるテロリズムなどから、国民一人一人に「共産主義への危機感」があった故のことである。

ところが、今はどうか。若者は「共産主義」の意味すら理解せず「共産党」をまるで弱者の味方のヒーローであるかのように称える論調すら見受けられる。
しまいには未だ暴力革命を掲げる中核派の構成員すら選挙で当選してしまうといった有様だ。
日本人が「共産主義」に持っていた免疫は日に日に薄れ、社会全体が「共産主義」という病への抵抗を失いつつあるという表れである。

何を勘違いしているのか知らないが、どんなに聞こえの良いことを言おうと、「共産主義」は弱者救済のための素敵な理論でもなければクリーンな政治体制を生み出す魔法の思想でもない。
むしろ、その真逆だということを、少しでも歴史をきちんと学んだことのある者であれば理解できるはずなのである。

ソ連も中国共産党も、何も最初から強権と弾圧を謳っていた訳ではない。
人民のため、労働者のためと謳い、平等な社会の実現を掲げていた。その結果がご存知の通りである。
日本共産党はロシア革命や中国共産党を批判し「我らこそが正しい社会主義を実現する」と掲げているが、前時代の体制を批判し、自らを正当化するのは共産主義の常套手段であり歴史上何度も行われてきた。
その度に民衆は「今度こそ」と希望をいだき、踏みにじられてきたのである。

今でこそ「革命」色を薄め、ソフトイメージを強調している日本共産党であるが、それは議席獲得のためであり(実際、方針転換がなされたのは日本共産党が議席を一桁まで減らした後の党大会においてであった)本質は何一つとして変わっていない。
二段階革命論、統一戦線戦術はもちろん同党は必死に否定するものの、革命の形態が平和的になるか非平和的になるかは敵の出方によるとするいわゆる「敵の出方論」は例え用語そのものを使用しなくなったとしても本質として残り続けている。
かつて、日本共産党は「51年綱領」と「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」に基づいて武装闘争の戦術を採用し,各地で殺人事件や騒擾(騒乱)事件などを引き起こした(公安調査庁HPより。詳しくはURLを参照→https://www.moj.go.jp/psia/habouhou-kenkai.html)が、いくら取り繕おうともその根底は何一つ変わっていないことは明らかであり、未だに破防法に基づく調査対象団体であり続ける理由なのである。

ここまでつらつらと日本共産党について書き連ねてきてしまったが、今回の記事でお伝えしたいのは彼らの恐ろしさではない。それについてもいくらでも書けるのだが、1ヶ月かかっても書ききれる気がしないのでやめておく。

それよりも緊要な問題であるのは、立憲民主党が日本共産党との閣外協力に合意したということである。
これを踏まえ自民党幹事長である甘利氏が
「われわれの自由民主主義の思想で運営される政権と、共産主義が初めて入ってくる政権とどちらを選ぶのかという政権選択だ」
「勝った方は首相をとる。(立民が中心の政権には)日本史上、初めて共産主義の思想が入ってくる」

(引用元 https://www.sankei.com/article/20211014-EZ2J7BVJ75MGZC3GBEQBFGJAIM/)
という発言をし、批判の的になっているが、何一つとして間違ったことを言っていない。

仮にも「民主主義」を掲げる政党が「共産主義」を掲げる政党と手を組むことの異常さを冷静になって考えていただきたい。はっきり言って現在の状況は異常だ。

以前、民主党政権時には選挙時に一部利害一致での協力はあったものの、基本的に共産党は独自路線をとり、両者ともに対決姿勢を崩してはいなかった。
ましてや、「選挙後の協力を約束する」なんてことはもっての他である。
散々な結果に終わった民主党政権ではあったが、一つの絶対防衛ラインには踏み込むことはしていなかったのである。
「共産主義はまずい」というなけなしの良心がまだ残っていたのだ。

それが、今はどうか。枝野代表は志位和夫とニコニコと手を取り合い、「閣外での限定的な協力だから問題ない」などと平気で口にしている。

そんな訳がないだろう。

選挙戦で協力体制をとり、議会の過半数を締めたとなれば、少なくない議席を保有する共産党の発言力は無視できない。それにより譲歩や調整を行っていたら実質的な連立政権と何も変わりがないことは明らかだ。

まともな考えを持っていれば、そのようなことは即座に理解できる。
現に国民民主党の玉木代表は立憲民主党の方針を批判し、方針が変更されなければ合流はないとしているし、立憲民主党にとって最大の支持母体である「連合(日本労働組合総連合会)」も芳野友子会長が「閣外協力はあり得ず、連合推薦候補にも共産が両党合意を盾に、共産の政策をねじ込もうという動きがある」という発言をしている。
紛うことなき正論である。

そもそも連合は発足当初から日本共産党とは対立しており、水と油の関係だ。現在の彼らの政治的姿勢を記載した資料にも「全体主義を排し」という文言が一つ目の項目に入っていることからもわかる。
これは当然のことで、連合に所属する各労働組合は無論、企業あってこそのものであり、その企業が存続していくためには健全な民主主義社会が不可欠なのである。
万が一、日本が社会主義国になろうものなら、その枠組み自体が破壊され、連合自体もその存続が不可能になる。
彼ら自身も民主主義の恩恵を受けて生きている立場なのであり、共産主義が社会にどのような顛末をもたらすかということは理解しているのである。
にも関わらず、立憲民主党と一部の支持者達はその主張に耳を傾けるどころかそれを無視や批判し
あまつさえ「連合は自民党の別動隊」だの「力の弱まった連合は必要ない」だのと騒ぎ立てている。
連合の力が弱まっただの、形骸化しただのとは言うが、立憲の組織票の多くが未だ連合に依存しているのは確かであり、所属議員も多数が連合に面倒をみられている状況なのは変わりがない。

個人的には、立憲が自滅していくのは大いに結構であるが、今回に関してまともなことを言っている連合や国民民主党が巨悪のように叩かれているのは見るに忍びない。
最近は、連合も自民党への接近が進んでいる。このまま立憲を支持していても共に奈落へ落ちていくだけだ。
覚悟を決めて自民党との協力に舵を切ることをおすすめしたい。

また、立憲の枝野代表は岸田首相のことを「話を聞かない」と批判しているが、自らの最大の支持母体の話も聞けないような党の方がよほど独善的ではなかろうか。
少なくとも、自民党は自らの支持母体や党員の声を聞くことに常日頃力を尽くしている。
それが行き過ぎて批判されることもあるが、政党として正しい役割を果たしていると言えるだろう。

特に、今回の問題に関しては単純な「利害」の問題ではない。
日本という国家、民主主義そのものの存続にすら関わる話だというのだから尚更だ。

皆さんにも、その点を強く意識して慎重な投票を行っていただきたい。

また、今まで立憲民主党を支持してきた方の中にも、今回の一件に疑問を持った方々も少なからずいることであろう。投票先をどうこうというのは立場上申し上げられないが、今一度共産主義の歴史と日本共産党についてインターネットや書籍などで調べ直していただきたい。

当サイトでも、引き続きその判断材料となる記事を提供していく。



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